【Chatwork山本 正喜社長 INTERVIEW】人生の転機は“部活動“!?「変わりたい」を実現するために、社長が大切にしてきた考え方とは?

スピーカープロフィール

山本 正喜(やまもと まさき)

Chatwork株式会社 代表取締役CEO
電気通信大学情報工学科卒業。大学在学中に兄と共に、EC studio(現Chatwork株式会社)を2000年に創業。以来、CTOとして多数のサービス開発に携わり、Chatworkを開発。2011年3月にクラウド型ビジネスチャット「Chatwork」の提供開始。2018年6月、当社の代表取締役CEOに就任。


野口
早速ですが、山本さんの高校時代のお話をインタビューさせてください。
山本さん
僕の高校時代は「悩み多き時代」でしたね。

「コンピュータが友達でした」悩み多き高校時代

山本さん
山本さん小学校高学年くらいの時から、人間関係に悩んでいて。
小中と地元の公立の学校に通っていたので中学生になってからも大きく環境が変わることはなく、人間関係の悩みが続いていたんですけど、高校は受験をして少し離れたところにある私立に行くことになったんです。
これまで続いてきた人間関係が一度リセットされるということで、

「ここではしっかり人間関係をやり直すんだ!」
と意気込んでいたのが高校時代のスタートで、一生懸命友達を作ろうとしたり、誰にでもいい顔をしようと、結構無理をしてしまって。元々あまりコミュニケーションが得意ではなかったっていうのもあって、結構からまわっちゃったりしたんですよね。
仲いい友達もできたりもしたんですけど、なんかうまくかみ合わない…という悩みが高校生の初期の頃はありましたね。
野口
山本さんが高校時代好きだったことは何かありましたか?
山本さん
ゲームにすごくはまっていました。
小学校の頃からゲームがすごく好きで、ずっと「ゲームクリエイターになる」というのが僕の夢だったんです。

野口
ゲームですか!どんなゲームをされていたんですか?
山本さん
オンラインのネットゲームに熱中していました。中学校からの友人と一緒にオンラインRPGにすごくハマって。リアルとオンラインが逆転して「オンラインが人生」のようになっていました。

今では信じられないと思うんですけど、当時はインターネットって分単位でお金がかかったんです。
僕はどうしてもゲームをやりかったので、「固定料金で夜11時から朝7時まで使い放題」という救世主のようなインターネットプランを親に頼んで契約してもらって、みんなが寝始める時間からオンラインゲームを始めて、朝7時まで徹夜でやっていました。
当然学校の授業もありますから、徹夜明けでそのまま学校に行って、ひたすら授業で寝て、家に帰ってきて夜ご飯を食べて少しだけ仮眠したら、またゲームをする…。
そんな日々を、高校2年の1年間は過ごしていました。
野口
凄まじいハマり方ですね!
「オンラインが人生」になるほどゲームに没頭する中、勉強はどうされていたのですか?
山本さん
2年生の終わり頃にはどんどん成績も落ちていって。
「ネットゲームが人生の全て」という生活の中にもいろいろなドラマがあったので、それはそれで自分にとってはかけがえない経験でした。ただ現実では学校の授業もあんまり聞いておらず、徐々に赤点ぎりぎりの点数を取るようになっていたのと、大学受験を1年後に控えているというので、この状況をなんとかしなきゃいけないという気持ちが強くなって、1年間続けたオンラインゲームをそのタイミングで辞めました。そこから大学受験のためにひたすらに勉強して、なんとか大学へ行くことができたという感じでした。ですから高校時代は、人間関係にかなり悩み、社会にうまく適合できなくて苦しんでいましたね。
野口
そうだったんですね。今からはあまり想像できないです。
山本さん
今ではこんな風に社長として仕事をしていますけど、小学生から高校生時代はコミュニケーションが本当に苦手で、1対1だと話せるけど、3人いると本当に喋れなくなっていたんです。「多くの人の前で話すなんてとんでもない!」とまで思っていました。

僕は内向的な性格だったんですけど、その分クリエイティブなことがすごく好きだったんです。
でも、日本の社会、とりわけ昔の公立学校とかだと、割と外向的なものを求められることが多くて。そういった意味でなかなか大変だったなという記憶と同時に、そこに折り合いをつけるのが結構難しかった学生時代でしたね。
野口
折り合いつけるっていうことに困っていたり悩んでいたりする学生って結構いると思うんです。その葛藤にどのように向き合っていかれたのですか?
山本さん
僕の場合、兄がすごく社交的でコミュニケーション得意なタイプだったこともあって、そうした自分の内向的な性格をコンプレックスにも感じていたんです。そこから僕が変わることができたのは大学時代の経験がきっかけなんです。

居場所となった競技ダンス部

山本さん

僕はコンピュータープログラマーとしてエンジニアライティングゲームを作りたかったので、電気通信大学のコンピュータサイエンスの学科に進みました。

高校生までは大阪にいたんですが、大学から東京での生活が始まって、東京に行ったことで人間関係がまた完全にリセットされたと同時に、親元から離れて一人暮らしになり、自分自身を何とか変えないと改めて強く思ったんです。そんな時僕が変わるきっかけになったのが競技ダンス部でした。

野口
競技ダンス部ですか!ダンス部は聞き馴染みがありますが、競技ダンス部っていう部活動があるんですね。
山本さん
そうなんです。競技ダンスは社交ダンスと言われているものの競技版なんですけど、実は電気通信大学の競技ダンス部は、全国大会十何連覇とかするような、日本でもトップクラスに強い部活だったんです。そして、超体育会系。上下関係もすごく厳しい部活でした。

野口
どうしてそうした部活動に入ろうと思われたんですか?
山本さん
大学に入ると、「新入生歓迎会」ってあるじゃないですか。強い部活って新入生歓迎会もすごく上手なんです。
コンピュータサイエンスを勉強する大学で、「ダンス部に入ろう!」と誘ってもなかなか人が集まらないのがわかっていたんでしょうね。はじめは「飲み会あるからおいでよ」って誘われたんです。
100人くらい集まるご飯会に3日間くらい参加しても、「何部なんですか?」と先輩に聞いても、教えてもらえなくて。
野口
えぇーーまだわからなかったんですか!
山本さん
そうなんです。笑
でも、その間に出会った先輩たちが面白いキャラクターでみんなを楽しませていたのが、自分の目にはすごくキラキラして映ったんです。それと同時に、3日くらい経つと、先輩とだんだん仲が良くなって、自分の名前も覚えてもらえるようになって。名前を読んでもらえてとっても嬉しかったのを今でも覚えています。

山本さん
そしてしばらく経ってから、「今度の土曜日に楽しい会をするからおいでよ」と誘われたので参加すると、大きい部屋に集められて。何が始まるんだろうと待っていたんです。すると、「僕たちは競技ダンス部です。これから僕たちの練習を皆さんにお見せしたいと思います」という先輩の言葉がきっかけで、それまでふざけたり面白いことばかり言っていた先輩たちの雰囲気がガラリと変わって「よろしくお願いします!!!!」という力強い挨拶が響き渡って、練習が始まりました。
一連の練習を見ている間、僕は唐突さと先輩たちの変化にただ呆然としていたのですが、練習終わりに先輩からこう言われたんです。
「僕たちはメリハリをすごく大切にしているんです。遊ぶ時は全力で遊ぶ。練習するときには全力で練習するんだ。」
そんな話を聞いて、僕もこんなかっこいい先輩たちのようになりたいという気持ちと、この環境に入れば内気で話すことが苦手な自分を変えることができるんじゃないかと思い、競技ダンス部への入部を決めました。
野口
実際に入部してみてどうでしたか?
山本さん
練習はすごく厳しかったです。
大学に上がるまでダンスをやったことがなかったので、姿勢も悪いし、リズムを取ることもできなくて、はじめは本当に大変だったんですけど、僕の場合ダンスと同じくらい苦労したのが、コミュニケーションでした。

大阪出身ということもあってか、ちょっとした時とかに「何か面白いこと言ってよ」と言われたりすることがあったんですが、これまで会話すること自体苦手だったのに、いきなりできるわけもなくて。
野口
コミュニケーションに苦手意識を持たれていたということですが、どのように克服されていったのですか?
山本さん
面白い先輩の話を聞きながら、こう言われた時はこういうふうに返せばいいんだとか、こうするとウケるんだなという、会話の引き出しみたいなものを、先輩や周りの人を観察しながらひたすら蓄積していったんです。そうしたことを続けていたら、ある程度のシチュエーションには対応できるようになっていったんです。

僕の信念の一つに、「ほとんどが技術だ」というのがあるんです。
一定の部分は才能が関係しているかもしれないですけど、コミュニケーションも技術として身につけることができるものだと思うんですよね。人と話すときに一定レベルの理解を得るということは、体系だった技術をしっかり練習して身につければ、誰でもできるようになるものかなと思うんです。
どんな人でも、変わりたいという意識と変わるための技術を習得する努力があれば、変われるんじゃないかなって。それに気づくことができたと同時に、会話の実践を重ねていくことができたという意味でも、僕は部活動に人生を変えてもらったと思っています。
野口
「変わるための技術を身につける努力」というのが、「変わりたい」という気持ちを実現するための手段になるということですね!

山本さん
コミュニケーションや営業、プログラミングなど、どんな物事にも成長曲線というのがあって、3年目くらいまでぐーっと上がっていって、4〜5年目からは少しずつその成長角度が小さくなっていくので最初の3年目くらいまでが効率のいい学習期間且つ、その地点が70点くらいだと僕は思っているんです。
そうした70点くらいの領域の幅を広げていくことで、総合的に見た時に自分を大きく成長させることができるということに気がついて以降、そのことを意識するようになりました。コミュニケーションに関しても、会話のボキャブラリーを増やすことができれば、ある程度のシチュエーションには対応できるというのが分かりはじめてから、結構生きやすくなったんですよね。
それまではエンジニアリングという領域に限定して、エキスパートとしてやっていこうという意識が強かったんですが、営業でも企画でもマネジメントでも、自分が不得意だと感じていることもとにかくやってみようという意識で向き合うようになって、20代は色々なことを広くやっていましたね。
その中でマネジメントを含め自分の幅が広がっていった結果、少しずつ経営に近づいていったのかなと感じています。
野口
そうした気づきが、今の山本さんに繋がっているのですね。
きっとダンスの練習もすごく大変だったと思うのですが、その中で辞めたいと感じることはありませんでしたか?
山本さん
それが、どれだけ厳しくても全く辞めたいと思わなかったんです。
実は一回だけ大きな怪我をして、半年から一年ぐらい休まなきゃいけない時があったんです。
ブランクを挟んでなかなか成績が伸びなかった時、仲間からは辞めるんじゃないかとも思われていたみたいなんですけど、どれだけ悔しい思いをしても続けたいと思うことができたのは、その部活自体が僕の大切な居場所になっていたからなんですよね。
野口
わぁ、すごく素敵です。
山本さん
学校の世界って特にすごく狭い場所だと思うんです。
コミュニティがかなり限定されていて、決められたことを決められたとおりにやる人が評価される側面も強いですし。
その中でうまくいかないことに悩んだり、これからの人生もうまくいかなかったらどうしようみたいに思っちゃうこともあるかもしれないんです。
でも、今いる場所って実はただの水槽みたいなものなんですよね。その外に広がっている世界は広いし、今いる環境が合わないと思ってもそこから出れば、必ず合うところ、自分を受け入れてくれる場所があるんです。だからこそ、今の環境だけで得意不得意を考えなくても、視野を変えれば自分に合う環境が必ずあるんだということは、学生の皆さんに知ってほしいことですね。

野口
視点を変えてみたり、一歩引いて視野を広げて考えることってすごく大切ですね。山本さんは、学生時代に今の会社を起業されたと思うのですが、ここからはそのお話をお伺いできますでしょうか?
山本さん
僕はインターネットを使って学生起業をしたんですけど、仕事も最高に面白かったですね。

元々僕は「何のためにこれをするのか」という理由が分からないと、物事へのモチベーションが上がらない人で。高校生の時は大学受験のためだ、と思って勉強も頑張れたんですが、大学が始まってからというもの、「何のためにこれを勉強しているんだろう」と感じ始めてしまって。次第に授業へのモチベーションを失って、部活ばかりをする生活になっていました。

実際にビジネスを始めて感じたのは、「もっと早くやりたかったな」ということでしたね。
自分のアイデアや技術を使ってプロダクトや事業を作って、それを提供することで誰かが抱える困りごとを解決できて喜んでもらえるということを経験することができて、それがすごく面白かったと同時に、「生きていく意味が分かった!」ぐらいの感覚になったんです。

それ以降、こういうものを作りたいけどどうやれば作ることができるんだろうという壁にぶつかるたびに自分で調べて、ひたすらコードを書いていました。
本当に面白くてしょうがなかったんです。仕事の楽しさに出会ってから自分のできることを増やしたいという気持ちが強くなりはじめて、プログラミングの分厚い本を常に持ち歩いて、読めなくなるくらいボロボロになるまで読んで、学校の授業では経験したことがないくらいとにかく夢中になっていましたね。

野口
そうやってワクワクした気持ちを持って夢中になれるものがあるってすごく素敵ですね。
でも今の社会って働くことに対してなかなか楽しさを見出すことができていない人も多いと私は感じているんですが。
山本さん
そうなんですよね。
今って、学校の延長線上で就職して仕事をする人が多いと思うんです。
決まった正解を先生から教わって、その通り答えるといい点数を取ることができるっていう学校の仕組みのなかで成長して、良い大学に行って、良い会社に入って。仕事を始めてからも上司から言われたことをその通りできることが評価されると感じている人が多いと思うんです。でも、本当の意味の「働く」って、そうじゃないと思うんですよね。
野口
山本さんの考える「働く」の意味とはどのようなものなのですか?
山本さん
お客さんの困りごととか、社会の課題に対して、自分のできることやアイデアを掛け合わせて価値を届けることこそが、僕は仕事だと思うんです。
「働くをもっと楽しく、創造的に」というのがChatworkのコーポレートミッションなんですが、実は自分のパーソナルミッションもこれに近いんですよ。
野口
そうなんですね!詳しく知りたいです。
山本さん
自分も人生をかけて楽しく創造的に働き続けたいですし、自分に関わる人もそうした生き方をしてほしい。そしてそういう生き方とか働き方をする人を増やしたいっていうのが、自分が人生を通してやりたいことで、自分の生きていく意味なんだと思います。

仕事って本来は楽しくて創造的なもので、それを通して社会を変えていけるすごくポジティブなものなのに、仕事をそういう風に捉えて働けていない人が多いし、それってすごく勿体無いなと思うんですよね。

だからこそ僕はビジネスチャットのサービスを提供するだけではなくて、自分の仕事を通して世の中の働き方をそんなふうに楽しいものへと変えていきたいなという想いがあるんですよ。

会社ってそれぞれミッションがあるじゃないですか。
例えば「世の中の人を笑顔にしたい」とか「貧困問題を解決したい」とか。そして、個々人にも「社会をこうしたい」っていうそれぞれのミッションがありますよね。
僕は、ずっと一つの会社に居続ける必要はないと思っていて。
会社は近しいミッションを持っている人たちが集まって構成する船のような存在で、会社という船をうまく乗り継いでいきながら、自分のミッションを実現していくのが、良い働き方なのではないかなと思います。

自分のミッションを、ミッションを掲げる会社という船を乗り継ぎながら航路を描くように実現していくのが人生なのかなって思っていて、そのミッションが僕の場合は、働くことを楽しいものにするというものなんだろうなと思って、今も仕事をしています。
野口
船を乗り継ぎ、航路を描くように実現していくのが人生。なんだかグッときました。最後に高校生の皆さんに向けてメッセージをいただけますでしょうか?
山本さん
社会に出るということを、働かなきゃいけないとか、大変だと思ってる人には、すごく面白い世界が待っているんだよと伝えたいです。そして、ぜひその世界に希望を持ってほしいなと思います。
野口
今回のお話をお伺いして、私自身も勇気や刺激を沢山いただくことができました。山本さん、改めて本日は貴重な機会をありがとうございました!

この記事をシェア